クレヨン、それからカレンダー

チラシの裏よりすこしひろい

スロウハイツの神様(再演)を観たんですよ

週末は劇団キャラメルボックススロウハイツの神様」を観劇。

初演がとてもよく2回観て2回ともずべっずべに泣いた。

DVDも購入し観るたびにずべっずべに泣いた。

再演もそうだろうと心して観に行ったが物販でラストシーンの写真を使った缶バッジがあるのを見た瞬間ず……くらいにはなった。ずべ…までくる前に急いでパンフレットと缶バッジと欲しかった別作品のDVD(無伴奏ソナタ)を買った。

観終わったあと、握っていたタオルハンカチはずべっずべだった。やはりなという気持ちだった。(おそらく初見の客が)笑うシーンでもたいてい感極まって泣いていたのでとなりにこいつがいたらうっとうしかったろうなと思う。声はたてていなかったので許してほしい。周回してると泣き所が増えるんですよ。

 

舞台はみにいくがなにも詳しくないしキャラメルボックスを観に行くのも3作目(DVDはあと4作ほど観た)なので検索でそういうあたりの話を期待してきた人には期待には添えず申し訳なく思う。なんかよかった〜〜という話しかしていないので。

 

役者がみなよく生きていて観れば観るほど全員のことが好きになる舞台だった。長い感想を書こうと思っていたが感極まりすぎてあちらこちらに話が飛ぶのでメモで整理しながら改めて今度書こう。

物語として好きなシーンを挙げると公輝と環の話に偏りがちだが、演技の好きなシーンだと小春の回想に「お祖母さんどうしたの?重い病気?」と狩野がいうシーンが初演からなんだかやけに好きだ。恋人の話に親身になって耳を傾けている狩野の人柄がよく出る言い方だからだろうか。

あと入居時に公輝と出会った狩野が、会話するなかでその目に映る相手が「憧れのジュブナイル作家・千代田公輝」から「孤独で不器用なただの千代田公輝」に変わって、どうしたって絶対に友達になりたいと心を強く掴まれている感があってよかった。

 

RENTをこよなく愛しているので環と公輝の関係性がRENTのFamilyやLoveの概念では?とすぐ思って感極まりがちである。恋愛が矮小な概念だというつもりはないしふたりのあいだにはたしかに恋愛関係があるのだが(というか恋愛関係に辿り着けたことが最高なんだよな)、環と公輝のおたがいに希望を灯しあうような関係性を「男女間に発生した感情」という点のみをとって恋愛として括られて解像度低く咀嚼されたら奇声をあげて追いかけまわすと思う。オタクなので、好きな作品への批判よりも好きな作品に対する粗い解釈に耐えられない。といいつつ原作未読なので私は原作ファンから奇声をあげて追いかけまわされる側であろうな(追い課金として帰りに物販で原作小説を購入したのでそのうち読む)。

男女の間に発生するものを全て恋愛として雑にくくる人間に対する憎しみがあるのでつい恋愛ではなくもっと大きいカテゴリとしての愛なんだよ!!!!と口が滑りそうになるが環と公輝のあいだには恋愛がある。そこは間違えないでいこうと思う。理解力不足で誤った解釈をするのは仕方ないことだが自分の主義主張に合わせて作品をねじまげていないかどうかについては常に自省していきたい。

 

回限定でみられるショート作品が補足した情報にもだえた。狩野と正義が仲良くなる経緯は人と人との関わりの奇跡がコンパクトに詰まっていてきらきらしていたし、公輝が家族以外の人間に物理的に接触されるのが苦手というのにはウッとなった。家族以外の手料理は食べられず、家族を失った公輝に、家族を与えようとした環、愛じゃん……。

 

書いていてふと思ったが環と公輝の愛には欲がない。いやあるんだけれど「私の幸せのために相手に○○してほしい」ではなく「私の幸せのために相手に○○してあげたい」というのが強い動機だ。彼らは相手に対価を求めない。すでに相手からもらっていて、それに報いたいという愛だ。人生を愛で数えている……。

 

再演は追加シーンが良く全体的にたいへんよかったが、スーがスロウハイツを出て行くシーンのギャグが削られていたのと、章立ての演出が板書ではなくスクリーンに変わっていたのとは両方とも好きだったのでちょっと残念だった。でもまあ前者はテンポ、後者は可読性の点でしかたのないことなのかなと思う。

出て行くときに冷蔵庫の中身の賞味期限を気にするの、料理上手なスーの人柄が出てる感じで好きだったんですよ。私がいなくなってもみんなちゃんとごはんたべてね的な心配をしている感じというか。

 

再再演があったらたぶんそのときも観に行く。

そう思う作品があることは幸せであるなと思う。