クレヨン、それからカレンダー

チラシの裏よりすこしひろい

気づけばぼやぼやしていた、当たりの舞台、エアロバイクと睡眠

ぼやぼやしているあいだに元号はかわり、大型連休は過ぎ去り、と思ったらお盆も過ぎて、いつのまにやら空気に秋の予告がまざりはじめているのだった。

ぼやぼやしていることに対して冷水を浴びせられるような舞台(ゴドーを待ちながら)を観、たいへんたいへん感銘を受けたのだが、生来のぼやぼやはすぐにはどうにもならない。

 

ぼやぼやしている間にもいくらか舞台を観た。

ピカソアインシュタイン

ゴドーを待ちながら(昭和平成/令和)

・ビビを見た!

どれも大変大変大変よかった。三者三様にたいへん美しい舞台だった。

 

ビビを見た!については長い感想をえんえん書いているが長いのでなかなか書き終わらない。1万字書いたがまだ終わらない。あれもこれもと語りたくなるちからのある素晴らしい作品だった。演出と原作にない追加シーンがよくて、作品のことを噛みしめるたびに「天才…演出が天才…」とうめいている。

 

ゴドーを待ちながら」は昔の名作をいまやる意義をひしひしと感じさせる上演だった。年齢の倍くらい異なるWキャストというのがおもしろそうで、あとタイトルは聞いたことあるけど観たことないし話も知らないな…というだけで2公演分のセット券を買ったのだが本当によいことをした。観た6月当時の感想を日記に切れぎれに書き留めたものがあるので、そのうちまとめて成形しようと思う。

舞台というのは監督や演出によってかなり見え方が変わるというのはわかっていたが2バージョンが同じ本を演出とキャストの違いだけであんなにもあんなにも違う世界を見せてくるのかと思った。

熱を込めてアンケートを書いたがそういえば映像化希望と書き忘れたな……。

 

ピカソアインシュタイン」も年齢の離れた2チームによるWキャスト公演で、ただしこちらは役をスイッチするので、全日両チームが出るものだった。役者は自分のセリフがどちらなのか分からなくなるらしく(相手役のセリフを喋りそうになるとのこと)、大変だろうが面白かったのでまたこういうタイプのWキャストが観てみたい。この作品はアインシュタイン役の村井良大さんのファンなので観に行ったのだが、同じアインシュタイン役の川平慈英さんのパワフルさが爆発していて、テレビよりも舞台で観たほうがなんだか馴染むしとてもチャーミングな人だな…と思った。なんというか過剰という言葉が一番しっくりくる感じで、それがアインシュタイン役によく合っていて、とても素敵だった。推しがすてきな方と共演してうれしい。村井アインシュタインもおっとりしているときと興奮しているときとの振り幅が大きくてまた違うアインシュタイン感がありよかったです。また20年後に同じ役をやってほしいと思える作品に出演してくれてうれしい…。推しが自分好みの作品に出るのはうれしいものです。

 

ほかのふたつは戯曲や原作絵本を手に入れたのだけれど、ピカソアインシュタインだけはなにもない。観劇した当時にいくらかとったメモがあるだけであるが、それも記憶をもとにした書き起こしなので不正確だ。とても美しいセリフがたくさんあった。画商のサゴがマティスの絵について語る場面や最後の乾杯が特に好きで書き留めたのだけれど、ほんとうは全編一言一句漏らさず書き留めたかった。

さまざまなシーンを思い出しながら、それぞれを飴玉のようにゆっくり転がしている。また観劇時には「なんとなくいいんだけどなにがいいのか具体的にはなにもわからん」と思っていたシーンが後日本を読んでいて急に「これだ…!」と結びついたりして楽しい。ピカソアインシュタインの取り合わせについてはなんとなくおもしろい取り合わせだなと思っていたが、以前聴きに行った画家と科学者のトークショーの感想を読みかえしていたらふと腑に落ちた。「科学の進歩は人の成熟よりも早いので、心をもたない科学は心をもたない芸術と同じように危険なものだから、芸術には科学を助けてほしい」というようなことを言っていて(記憶を基にしたメモからの不正確な引用)、ピカソアインシュタインの(舞台作中の)出会いは創作なのだけれど、でも必然のように思われた。美しい作品だったな……。

 

舞台の話が長くなった。

ほかの話も書いておこう。

 

先月ペダルだけのエアロバイクを買ったので、体調を崩しているとき以外はまじめに毎日漕いでいる。賞与をもらったので、適当と思われる額を消費に充てた。そのうちのひとつである。1万円ちょっとだしペダルだけなら邪魔にならないのでいいだろうと思った。

買った動機はシンプルに、痩せよう…と思ったからである。そちらの効果はわからないが、寝つきが良くなり、数日で脚のだるさが解消した。代謝が悪いのか汗腺が少ないのかあまり汗をかかず、夏はすぐ熱がこもってつらいので、すこしは改善することを願ってせっせとこなしている。

外でさんざん遊んでいる子供の頃から寝つきが悪かったのでもう入眠が下手なのだろうと諦めていたが、大人になりそこそこ経ち、体が疲れれば寝るようになったらしい。歳を重ねて無茶なことをこなすだけの体力が消えていくのをおお……と悲しんでいたが、便利な面もある。

なるべく努力してよい歳を重ね、子供のころに考えていた「大人」になりたいものだと思うが、自然の加齢そのものにも利点があるのだな。

 

うっかりぼやぼやしてもいい理由をみつけてしまった。ぼやぼやしないようにしよう。