クレヨン、それからカレンダー

チラシの裏よりすこしひろい

擬音が独特、代わりになってない、また話が長い、本棚を把握してない

慌てたように冬がきたな。季節の帳尻の合わせ方が今年は随分雑だ。

寒いので会社内でも着膨れして歩いていたら会う人会う人に「寒いの?」と聞かれた。さむいですよ、と会う人会う人に答えた。あれは会社のあるあたりの土地の言葉で「会社員が着膨れるな、みっともねえから脱げ」という意味かもしれないな、くらいの語学力はいちおうあるが、私の暮らす地方では使っていない方言なので、もしかしたら普通の世間話かもしれないしなー、と聞こえた通りに返事をしている。

 

よく擬音を使う。なるべく気分に沿ったものを使おうとするあまり受け手の印象にまで配慮をしていないと以前友人に指摘されたことがある。

そのときは確か「おまえの食べ物の表現はまずそう」と言われたのだった。「世の中にはびしゃびしゃのポテトサラダとむっちゃむちゃしてるポテトサラダあるじゃん?びしゃびしゃのほうが好きなんだよね」といったらそう返ってきた。ポテサラの好みの話をして擬音の使い方に食いつかれるとはな。

「伝わるっしょ?」と答えると、「伝わるけどすごくまずそう」と言われ、さらに「おまえは言葉に対して誠実であろうとするあまり人間の感情に不誠実」と追撃された。あまりにも的確なのでゲラゲラ笑って、実に良い指摘だと褒めた。反省はしていない(別に友人も反省を求めているわけではない。ツッコミ気質なだけだ)。

そのあとぜんざいを食べながら「食レポして」と言うので、「白玉すごいぬっちゃぬっちゃする!おいしい!」と言ったら友人は「食レポの才能ない!天才!?」と笑った。小豆によく溶けてるぬっちゃぬっちゃの白玉、あるじゃん。世の中にはさ。好きなんですよあれが。

 

そういう擬音遣いで暮らしているので、ゲームの「ツムツム」というのも擬音だと思っていた。あのぷにっとしたフォルムのキャラクターをつついたら確かに感触は「つむつむ」って感じしそうだなー、なるほどなー、いいセンスだなー、と感心していたら全然違った。あれ、「積む積む」なのか…。

 

先日のファンミ帰り、どうにもテンションが落ち着かなかったので赤坂から有楽町まで歩き、なにか食べようかと思ったが気分に合うものがなかったのでビックカメラポケモンを買った。

食べ物の代わりになぜゲームソフトを買ったんだ。買ったときはたしかに「これでいいか…」と思っていたのだけれど、なにもよくないだろうそれ。

手をつけるとしばらくポケモンしかやらなくなりそうなのでまだ開封していない。ごはんが作れるとか髪型の自由度が高いとかなんかいろいろやばそうな情報が聞こえてくる。震える。

 

舞台「あの出来事」(2019、新国立小劇場)の感想、最初はさらっと5行くらいでいいかなと思っていたのだけれど、書いているうちに…おや…?という分量になりはじめた。正直なところ単項立てるほど刺さる舞台ではなかったなと思ったのだけれど、戯曲の内容が趣味に合うせいかなんだか妙に楽しくなっている。モデルになった実際の事件の話を入れるとまたいっそう長くなるのでやめる(ノルウェーでは現在でも深刻な影響のある事件で、調べるほどに気が重くなる。ひととひととを分断するものについて見るのはとてもつらい)。

 

感想で引用しようと思った短編、一度読んだだけで持ってないから正確に引けないな…やめるか…と思ったのだけど、ふとスライド式本棚の後ろの棚を漁ったらあった。読んだ覚えはないからたまたま買ってあっただけだ。買っていて偉いぞ!といつかの私を褒めたが、いや読めよ、買ったの忘れてるなよ、とも思った。そして買った覚えはあるがすっかり忘れていた本もそこにびっちり詰まっていた。ははは、おまえらここにいたのか、はははは。……読む本が増えた。

しかし本棚の所定位置に無いなーと思っていたカフカ短編集も出てきたのでうれしい。舞台「ドクター・ホフマンのサナトリウム」(2019、KAAT)を観て、あー!この場面短編集にあったな!と思った(拷問の場面、これ「流刑地にて」だ!)ので、元をあたりたかったのだ。舞台自体はカフカの架空の「第四の長編」にまつわるものなのだけれど、予習としては短編を読むといいかもね、とパンフにあったので、おそらく短編集を元ネタにしたところがちょくちょくあったのだろう。私は一ヶ所しかピンとこなかったが。

カミュの「ペスト」を読みたいのだけど、この分だと部屋のどこかにありそうなんだよな、と思って本屋でいつも悩む。

積んであるやつを消化してから買うべきだというのはよくわかっている。

 

残業帰りに歩いていたら呼吸のたびに息が白く昇った。ほんとうに急に寒くなった。さては12月に間に合わせるために月末最終営業日に特急納品されたな、今年の冬。