クレヨン、それからカレンダー

チラシの裏よりすこしひろい

台風の日、坂本観光、旅とエクセル、いつか思い出す一日

土曜日は台風で予定をキャンセルし、一日家にひきこもっていた。

ひきこもること自体はあまり苦にならないたちである。しかし眠かったので書き物や読書はいっさい捗らず、ただひたすら布団にころがっていた。

キャンセルした予定はあまり気の進まないものだったので、悪天候を口実に「いやあ行きたかったんですけどねえ台風なのでねえ仕方がないですよねえ」と断りを入れた。あまりアクティブでない気性で、できれば家にいたいのだが、いかんせん外に出かける趣味が多い(舞台、美術館、史跡)。ここのところずっと忙しく外出していたので、そろそろ体力が尽きかけており、家にいられることになったのはよかった。

 

幸いにも自宅も身内もほとんど被害を受けなかったが起きてニュースを見ると台風の通ったあとは酷いありさまでなんとも言い難い気持ちになる。被害地域が広いので気持ち程度の額になるが募金をしようと思った。常日頃金がない金がないと言いながら暮らしているが明日の飯を欠くほど金がないわけではない。

 

先日祖母の一周忌があり、父と日帰りで京都へ行った。思っていたのとかなり日程が違ったため、一度は父だけで行くことになったのだが、都合がつけられるからやはり同行しようと言ったら「じゃあ午前は観光だな!!」と言われた。冗談かと思ったら本当に朝早くの新幹線をとっていた。マジかよおまえの母さんの一周忌の前に観光かよと思ったが、父なりの帰郷に対する折り合いの付け方なのだろうと思い、かねてより行きたかった坂本観光を希望した。

祖母の死の際に父は泣いていなかった。神妙な顔をして、時々困ったような顔をしていた。男児たるもの人前で泣くべきではない、というタイプの人ではない。親と特に不仲だったようにも思わない。泣いていなかったからといって死別が悲しくなかったわけでもないだろうし、もしも自分の親が死んだときに悲しくないとしても、それはそれに至るだけの経緯があるだろうから、冷たい人間だとも思わない。血を分けた親でも、結局は他人である。他人の心の内はわからない。親子であるから心の内がわかると思うのは傲慢なことだろう。一緒に法事にゆくと言うと嬉しそうだった。生きている父が喜んだので、私としてはそれでよい。

 

新幹線に乗ると、父がいつものようにエクセルで作った日程表をくれた。半日の観光でもしっかり作ってくるあたりがいかにも父だった。子供の頃から旅行のときは父がエクセルで日程表(電車の時刻や観光地への滞在時間、大体の予算が細かく書かれている)を作って配ってくれていたので、旅行とはそういうものなのだと思っていた。だから大人になって一人で(あるいは友人と)遠出するようになって、「なんとなくその場で適当にスケジュールを変更しながら観光する」という旅があることを知り、驚くと同時に旅への自信がついた。事前の準備をするに越したことはないが、不備があったりスケジュール通りにいかなかったりしても別に旅は破綻せず楽しめるものなのだと学んだ。

 

坂本観光は西教寺坂本城跡で迷った結果、西教寺へ行った。来年からの大河が明智光秀なのでそろそろにぎわっているかと思ったが、タクシーの運転手いわく「まだ全然人が来ォへん」とのことだった。それでも街なかには「麒麟が来る」ののぼりがたくさんはためいていてうきうきした。

西教寺は静かで緑ゆたかで建物の美しいよいところだった。椛が多かったのできっとあと一月もすれば紅葉してまた違う表情になるのだろう。資料館には明智左馬之助(名前いつもこんがらがってわからなくなる、秀満でいいんだったか)の湖水渡りのときの鞍と鐙などがあった。それと部下の弔いに関する直筆書状があり、穏やかな感じの文字で人柄を感じるようでなんだかとてもよかった。一通り見て明智光秀や一族の墓に手を合わせた。父が「やっぱり街なかよりこういうところが菩提寺のほうがいいよな」と言ったので、「……建勲神社は緑豊かだからそれでいいのでは」と答えたら「そうね」とにやにやしていた。主語を省かれてもなんのことだかぴんとくるのが親子だなという感じで、すこしおかしかった。

西教寺から出て、歩いて駅に戻りながら、観光案内所で本を買ったり蕎麦屋で蕎麦を食べたりした。琵琶湖を見ながらしばらく下ると、道の脇にきれいな石垣のある大通りに出る。石垣の良し悪しはよく知らないが、何が好きかときかれれば野面積みが一番好きである。感じのいい野面積みの石垣だ、と思って歩いた。後日それが穴太衆の仕事だと知って、もっとよく見て歩けばよかったと、すこし悔やんだ。

 

坂本からすこし電車にのって法事に行った。

法事に出たのはほとんどが父とそのきょうだいたちで、祖母の位牌がある長兄の家族を除けば従兄弟もそれぞれの伴侶もいなかった。土日休みではない仕事の人間が多い。

お経をあげてもらっている間に、ちょっとしたことがあり、前列の兄たち(父を含む)は気づかなかったが後列の弟妹たちと家族たちは(なんで動いたん…?おばけ…?)(ご本人登場すんのとちゃうか)(主役やもんな、そら来はるわ)とざわざわしていた。結局は原因がわかって超自然ではなく普通に科学のしわざだと納得したのだが、神妙な儀式の最中でもそういうふうにざわざわするのが、いかにも父の血縁らしかった。一年前の通夜と葬儀も、儀式の最中はみな静かだったが、その前後は祭りのようににぎわって喜劇のようだった。文脈を共有しないと不謹慎だが、文脈の中にいると愛情を感じる冗談が交わされていた。西の文化圏の別れ方だな、と思ったのを覚えている。

 

寿司を食べて墓参りをして夕方の新幹線で帰った。父と品川で別れて帰宅しながら、いつか父の葬儀で、祖母の一周忌にふたりで坂本に行ったことを思い出すのだろうなと思った。