クレヨン、それからカレンダー

チラシの裏よりすこしひろい

ゲシュタルト崩壊(顔)、曖昧なイメージ、微妙に文庫サイズではない、本選びに悩む

ひさしぶりに人の顔がわからなくなった。

といってもいわゆる相貌失認というほど深刻なものではなく、単にしばらく人の顔を見ているとゲシュタルト崩壊を起こすだけの話である。暮らしに支障はないが、たまに会話している相手の顔がわからなくなるのは、会話に対する集中が削がれるので困る。

わからないといってもべつに相手が誰だかわからなくなるのではなく、「……こんな顔だったっけ?」という疑問とともに、動きや声がなにかを構成するひとかたまりとして捉えられなくなり、個々の要素にばらけるだけだ。顔はわからなくとも、会話は音と意味のやりとりなので特に問題なく処理される。支障はないがなんでこのタイミングでわかんなくなるんだろうなという不思議さはある。

顔がわからなくなっているあいだ、目の前にいるのが生き物で、脳でいろいろなことを考え、さまざまな筋肉を動かし、息を吸ったり吐いたりして言語としてそれを出力していることがふしぎなことに思われる。でもけっこうおもしろいからいまのままで構わない。常時この状態だとふしぎさが失われそうなので発生頻度もいまのままだといいのだが。どうだろうな、脳のバグっぽいからな。いつかそれぞれの名前と物体との関連性の鎖がゆるくなってしまって、個々にばらけた要素で満ちた世界をふしぎがりながら眺める日が来るのかもな。

 

日記に書くことがあまりない。「日記をつければ書き留めるためにいろいろなものを意識に入れながら暮らすだろう」という思惑を見事に裏切り書くことがない。それで毎日なにをしているかというと、まあ、ポケモン剣盾ですね。毎日きのみを収穫してまわり、りんごやハーブを拾い、カレーを作っている。なんのゲームだこれ?(とても楽しい)

男の子主人公が見事にどこぞのリゾートでバーテンやってそうなビジュアルにカスタム可能なので、着せ替え機能がついてから初めて男主人公にしたが、やはりというかなんというか男子の着せ替えは虐げられているな。男子にもそのニットカーディガンともこもこコートを着させてくれ。ゆめかわパーカーがOKでニットカーデがNGな理由がわからん。

 

舞台「Indigo Tomato」(2019、東京グローブ座)を観た。今年観たのが11作品だったので、キリよくもうひとつなんか観るか、評判いいし、というノリでしゅっと取った。自閉症サヴァン症候群共感覚をもつ青年タカシをはじめ、さまざまな事情(障碍/孤児/国籍)から世間に馴染めない人々が、それでも世界に参加することを選ぶ物語である。よい作品だったなと思うのだけど、どうもなにか見落としてしまったような気がしていて、ずっと考え込んでいる。いやしかし5人全員歌がうまくて演技がうまくて2時間ずっとめちゃくちゃよかったな…。

 

グローブ座に行くのが初めてだったので、14時開演だが12時くらいに大久保に着き、早めに場所を確認して、街をうろうろした。来たことない街だからなにか食べようと思ったのだけれど、覗いたところがだいたい韓国グルメ(辛いのがだめ)と東南アジアグルメ(香草がだいたいだめ)で、それ以外の店でよさそうなところは量が多そうだった(少食)。めんどくせえ舌と胃である。結局はなにも食べずに観劇した。

帰りはまだ日が高かったので新宿まで歩いた。しばらく歩くと顔のいい男女のポスターがところせましと貼ってあったので「なるほどこれが新大久保のプチ異国情緒、つまりこれは韓国アイドルさんたちなのだろうなあ、顔がいいですな」と思って眺めながら歩いていたのだが、それにしては、こう、なんというか、中高生がグッズ買いにくるにはどことなくあやしげな雰囲気の街だな…と思っていたらそこは歌舞伎町で貼ってあるのはお水のメンズ&レディースのポスターだった。韓国アイドル同様触れたことのない文化圏であることには変わりなかったので興味深くポスターを見ながら歩いた。けっこうパロネタのポスターが多いものなのだな。「抱かれたい男No.1にオラされています」というようなやつがあって、最初「へー、実写化すんだー」と思いながら通り過ぎたのだけど、あとでアレもお店のポスターか!と気がついた。オラされて、というのは、たぶん「オラオラ接客」とかそういう言葉の省略形なんだろうが、なんか偉そうにグイグイくんのかな、程度にふわっとしかイメージできない。スタープラチナみたいな感じに接客されるわけではないことだけかろうじてわかる。

 

新宿のブックファーストでデスミュのブックカバーとしおりを配布しているというので、そうか、いや本を増やすのはよくないんですけど、読み終わってない本が多いので本当は買ってはいけないんですけど、でもなくなり次第終了と言われたらなあ!推しがなあ!写っているのでなあ!!と言い訳しながらにやにやと本を買……おうとしたらなんと欲しい本がのきなみ文庫サイズではないのである。なんということだ。

あれは新書サイズ、これも新書サイズ、それはそもそも単行本、となって困ったのでそうだハヤカワSF買っちゃえ!と思ったらそういやアレも微妙にでかいのだ。なんなんですかほんとに!!

へちょへちょしながら自分用には好きな作家の未読の文庫とどうしても欲しかったのでカバーがかからないのを承知で白水Uブックスを1冊選び、キャンペーン参加書店のないところに住む友人のために本を選んだ。本もあげようと思ったので持っていなさそうなやつ、それでおもしろくて、でも私の趣味で選ぶとあんまり好きじゃなさそうだから…寝る前にパラパラ読んで気持ちが暗くならないような軽めのを…と悩み、江國香織「ホテル カクタス」や川上弘美「椰子・椰子」を探したが無く、ケン・リュウ「紙の動物園」は評判いいし好きそうだなと思ったが自分が未読なので万が一思ってるのと違ったら困るのでやめて、自分の趣味で選んでしまおうかな……とカズオ・イシグロやら安部公房やらの棚をうろうろして思いとどまった。最終的にはいい本が選べたのでよかった(カバーも無事かけてもらえた)が、帰宅してふと本棚を見、岸本佐知子編訳「変愛小説集」(講談社文庫)があったじゃないか…!?と気がつかされちょっとだけ落ちこんだ。

翻訳にうといので普段は作家で本を選ぶが、岸本佐知子訳のものだけは「作家のことを知らなくても買ってよい」と決めている。翻訳者というより(もちろん翻訳も良いのだが)この人が選んだ作品なら間違いなくおもしろい、という一種の指標のように思っている。

で、久しぶりに読み返したら「贈るのこれじゃなくて良かったな…」と思った。おもしろいけど。おもしろいけど贈る相手は選ぶ本だな。このなかだと私は「僕らが天王星につく頃」という、体からじょじょに宇宙服が生えてきて、宇宙服が完成したあとは天王星まで飛んでいってしまう奇病の流行っている世界の夫婦の話が好きだ。以前人に説明したら何を言ってるんだという顔をされたが、だってそういう話があるんだ。そういう感じの話しか収録されてないアンソロジーもあるんだ。そういう感じの話をよく翻訳してる翻訳者もいるんだ。

 

最近会社で良くねむくなるな、なぜだ…と困っていたのだけれど、ふと気がついてセーターを脱いだら涼しくなり眠気も去った。

先日まで会社はとても寒かったのだが、みんな平等に寒くなったらしく暖房がつくようになった。しかしそれに気がつかず今まで通り防寒していたのでとてもぬくぬくあたたかく、あがった室温の分だけしっかり眠くなったらしい。夏と冬で体温が2度近く異なる変温動物なので外気温にすぐ影響される。

野生を感じる。