クレヨン、それからカレンダー

チラシの裏よりすこしひろい

「ラヴレターズ」に対する印象の変化、散歩に向く本屋、絶版と野望、リンネレンズを困らせる

友人に誘われて朗読劇「ラヴレターズ」(2019、新国立小劇場、岡山天音&黒島結菜ペア)を観た。以前も観た演目なのだが、今回の方がなんだかどちらのキャラクターにも魅力を感じられた気がする。

「ラヴレターズ」はアンディとメリッサという男女の幼なじみがやりとりしている手紙を通し、彼らのすれ違う人生を覗くような作品である。衝動的かつ内気でオンタイムのコミュニケーションが苦手なアンディは、成長とともにボランティアや法律に興味を持ち、名門大学や海軍などエリートでマッチョな道を進む。強気で奔放なメリッサは、裕福で不自由のない暮らしをしているが、子供の頃からさまざまな場面であらゆる愛に裏切られ続ける(誕生日パーティのダンス、離婚した父の家庭、衝動的なボーイフレンド他)。得意な絵の道に進むが、彼女の人生は何度作り直しても砂の城のように崩れる。年齢を重ねるごとに何かを得ていくアンディと、何かを失っていくメリッサの、対照的な人生のなかの40〜50年を手紙とともに追ってゆく。

黒島結菜さんのメリッサは自業自得のうまくいかない人生をもう笑うしかないと思っているような感じだった。「ここが底だからもう悪くならない」と思っていそうな顔をしたままずるずると底なし沼に飲み込まれていくようで、でも悲壮感がないのが却って胸に迫るようなメリッサだった。どことなくアニメっぽい感じがしたのだが(アニメ声というわけではないのでなぜかはわからない)、そのおかげで逆に重くなりすぎず、要所要所はまあ自業自得なんだけど完全に悪い人間ではないんだよなあ、もうすこし何かいいことがあればいいのにねメリッサ…と思いながら観られた。

岡山天音さんのアンディは良い意味で自分のことにしか構っていないような感じだった。大人になってからはともかく、学生時代のメリッサはけっこう、なんというか、私だったら恋人にはしたくないな…疲れそう…と思うタイプの女の子なんだけれど、岡山アンディはメリッサのそういう部分をなかなかうまくいなしていたような感じがした。笑うようにセリフを言う癖のある(自嘲のような照れ笑いのような苦笑のようななんとも形容し難い笑い方でそこに独特の味がある)俳優さんだなと数作見て思っていたのだけれど、その特徴的なトーンが、そういう軽やかな印象を与えるのかもしれない。

ラストのアンディの手紙にメリッサが相槌をうつシーン、前に見たときは手前勝手に破滅した女とそれに巻き込まれずうまく逃げおおせた男からの最後の手向という感じがした。今回は僅かずつだが確実に離れていく道を歩いていたふたりの間に、当人同士以外には正確な理解のできない種類の、けれど確かに愛という名のなにかはあったのだと感じた。もしかしたらアンディとメリッサが互いの性指向に含まれる性別でなければ、もっと簡単に「友情」という名前をつけて処理されていたかもしれないなにかが。

前回見たペアが悪いというのではなく、わたしの好みはどちらかといえば今回のペアだったというだけの話だ。それと、映画「ラ・ラ・ランド」を観て「異性愛者の異性同士が親しくなることにより発生する恋愛というバグ」という考え方を得たこともこの作品を理解しやすくなった一因だと思う。いま見れば前回ペアの組み合わせでもまた違う感触を得られるのかもしれない。

 

映画「ラ・ラ・ランド」のことを私は「傷ついたクリエイターが支え合い生き抜き再生するなかで、欠けた部分が回復したので互いに相手が余分なパーツになってしまい手を離す必要が発生した話」だと思って見ていたので、一人芝居の上演以降の展開はとても好きなのだが前半のロマンスは必要性は感じるもののちょっとかったるいなと思っていた。しかし「支え合うクリエイター同士としてはこの上なく素晴らしいパートナーでいられたふたりが、親しい異性であるがゆえに本来不要な恋愛感情がバグ的に発生し離別するしかなくなる話」だという感想を見て大変納得した。かれらはそもそもロマンス的に惹かれ合った最初の時点でラストに繋がる道を選択してしまったのだ、という視点を得て見直すと、前半のロマンスはバグの発生過程なのだと思った。その視点を得たとき大変感動したので知人にその話をしたら「あんま恋愛をバグとか言うなよ」と言われた。

それは本当にそう。

 

本を買った。少し大きめの本屋で、棚の分け方が出版社ではなくジャンル(SF、海外文学、日本文学、ビジネス、新書ほか)で分かれている。散歩しながらいろんな本を見るときには楽しいのだが、特定の本を探すときにはまぁ向いてないな…と思った。しかし放っておくと似たような棚ばっかり見てしまうのでこういう本屋に出かけるのは大切だろう。

ぶらぶら見て回って、知らない作家を買おうとしたのだが、どうもセンサーがうまく働かず、1作だけ読んだことがある作家の本を各1冊計2冊買った。最近日本人作家をあまり探していなくて、古い海外ものばかり読んでいて偏る。しかし適度に遠くて読むのが楽なんだ…。

 

イタロ・カルヴィーノ「柔らかい月」をずっと探しているのだが見かけない。見かけるまでは買い時ではないのだろうと思っていたがもしかしてこれ絶版なのではと思って検索したところどうもそれっぽいな。あと前から思ってたけど河出文庫はおもしろい本出してるのだからもっとカバーをジャケ買いしそうなしゃれたやつにすればいいのにな…(といいつつガッサーン・カナファーニー「ハイファに戻って/太陽の男たち」はジャケ買いした短編集だった、と書いて思い出したが正確には「爆殺された伝説の作家」というあまりにも物騒な帯を見て買ったのだった。パレスチナ文学なので無邪気におもしろいよと言うのはためらわれるが収録作はどれもたいへんよかった。表題作の2作は特によかった)。

 

同じように絶版だと長らく知らなかった本が室井光宏「おどるでく」である。芥川賞をとっているのでてっきり文庫があるのだろうと思い探していたら文庫が出るどころか単行本が絶版らしいのだ。なんでだ!こんなに美しい本なのに!

いつかこのブログでおどるでくがいかに文字通り「純文学」であるか、いかに困難なことを美しくやってのけているか、いかに「エッセイに近い私小説」「郷土小説」という評価が的外れで馬鹿げているかについてせつせつと語り、おどるでくをバズらせ、復刊投票1位にし、みんながおどるでくはサイコーだと讃える世界を実現したい。

それが無理なら(無理だろうな)、せめて電子書籍出してほしい。金を、金を払わせてくれよ…。

 

すこし前にリンネレンズというアプリを買った。カメラをかざすと自動で調べてくれる図鑑アプリである。水族館でわさわさと楽しんだあとすっかり忘れていたのだが、ふと通勤中に思い出して道端のイネ科の雑草にかざしてみたところ、「ホンドギツネ 53%」と出た。

いや、キツネではないだろ、と思って画角を変えたりしてみたが、パーセンテージが変動するだけでホンドギツネであることは確信しているらしい。これ以上やってると会社に遅れるなというところで断念し、そうかね、きみがそういうんならもしかしたらこの雑草はきつねが化けてるのかもしれんなハッハッハ、と思いながらスマホをしまった。

で、あとでアプリの使い方を調べたら(使う前に確認すべきだ)、どうも「リンネ」という名前から勝手に植物も調べられるんだと思っていたのだけれど、いまのところ動物にしか対応していないらしいのだ。知らないことを聞かれて懸命に「わかんないけどこれはキツネだと思う!!」と答えていたのだな。ありがとうな。無茶振りしてごめんな。

と思いながら電柱にかざしたら「ナナフシ 42%」と出た。おもろい。記録ボタンを押さずにかざすだけなら調査データの邪魔にはならないだろうししばらくこうやって遊ぼうかな。